私たちの社家小学校のすぐそばに
社家宇治山遺跡(しゃけうじやまいせき)
が発見されたのは2003年のことで
そんなに昔のことではありません。
しかし、この遺跡からは、弥生時代
から江戸時代にわたる長い間の人々
の生活のようすを知ることができる物
がたくさん見つかりました。
残念ながら、いまでは相模縦貫道の
下になってしまって見ることはできま
せんが、社家地区に古くから人々が
生活していたことを知ることができた
ことはうれしいですね。
|
|
|
宇治山遺跡の全景 |
|
|
|
遺跡は、社家駅の北西、300メートルのところにあります。
学校からは約800メートルで、歩いても10分の近さです。
相模川の流れのすぐそばで、川が運んできた土砂がつみ
重なって、堤防(ていぼう)のようになった場所にありました。
|
|
|
|
|
|
方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)というお墓
が8基発見されました。
四角く土をもりあげて、まわりに溝(みぞ)
をほったお墓です。
写真の中央のまるいくぼみに遺体が埋葬
(まいそう)されていました。 |
|
|
|
|
|
方形周溝墓から見つかった土器です。 →
高坏(たかつき)と呼ばれています。
昔の人がお酒などを飲んだのでしょうか? |
|
|
|
|
|
|
|
古墳時代の家のあとです。
ほぼ正方形をしています。
写真の中央に焼けこげたところが見られ
るので、火事で焼けた家だと思われます。
この家からは、下の写真のような土器が
たくさん見つかりました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
古墳時代の玉作りの工場の建物が3軒も見つかり
ました。
管玉(くだたま)という、ネックレスのようなかざりを
つくっていたようで、原料の石や作っているとちゅう
の石がたくさん見つかりました。
原料の石は、緑色凝灰岩(グリーンタフ)という石
です。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
←玉作の工場の建物あとです。
神奈川県では、まだ数例しか見つかって
いない珍しいものです。
|
作っている途中の管玉 |
|
|
管玉のできるまで
|
|
|
|
|
|
|
古墳時代(こふんじだい)の家の近くで、
この写真のような畑のあとが発見されました。
あまり大きなものではないので、家庭菜園(かていさいえん)
かもしれません。どんな野菜が作られていたのでしょうね。 |
|
|
|
戦国時代から江戸時代の堀(ほり)にかこまれた屋敷
(やしき)のあとが発見されました。
屋敷の中からは、建物のほかに井戸や溝(みぞ)なども発見
されています。
中世の溝(みぞ)のあとが発見されました。 →
底に石がしきつめられています。
どんな目的で作られたのかは、分かっていません。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
屋敷の中からは中国のお皿や愛知県瀬戸のお皿などが
発見されました。
そのほかに、墨で字の書かれた木のいれものが見つかって
います。
ここで生活していた人々のにおいが伝わってくるようですね。 |
|
|
|
|
|
|