今からやく三百年前、江戸時代(えどじだい)のお話です。
二月の冷たい風のふく日でした。そのころ杉久保にあった千体寺(せんたいじ)というお寺の前を旅姿(たびすがた)の母とむすめが通りかかりました。
ところが、そこで急にむすめがくるしみだしたのです。母おやはこまりはててしまいました。
そこへ、近くの村人が声をかけました。
「どうしたのですか。ご気分でもわるいんですか」
「わたしたちは江戸(えど)にすむ、さる武家(ぶけ)のものです。むすめの病気をなおしていただこうと、この近くにすんでいらっしゃる半井驢庵(なからいろあん)先生をたずねてまいりました。しかし、長旅(ながたび)はやはりむりだったのでしょうか。ここに来て、急に苦しみだして………」
むすめは、村人や母おやの必死(ひっし)のかいほうにもかかわらず、なくなってしまいました。
村人は、このかわいそうなむすめをねんごろにとむらい、地蔵堂(じぞうどう)を建て、そのかたわらにツバキの花をそなえました。
やがて、その一枝(ひとえだ)が根づいて成長しましたが、ふしぎなことにつぼみはたくさんつくのに花は一つもさきません。
村人たちは、若くして花さくこともなく死んでいった娘の霊(れい)がのりうつって、花がさかないのだろうと話し合いました。
(えびなむかしばなし第1集より)
昭和32年頃のつばき地蔵 |
現在のつばき地蔵
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