きょうのお話しは、みんなのふるさと、社家(しゃけ)につたわる話じゃ。
運動公園(うんどうこうえん)のちかくに、三島神社(みしまじんじゃ)があることはみんなしっておるだろうな。
なに、きのう友だちといっしょに、そこでかくれんぼをしてあそんだばっかりじゃと?
ふぉ、ふぉ、ふぉ・・・、それはよかったのう。
じゃが、百五十年まえだったら、とても、とても、こどもがそんなあそびをしてはおられんかったはずじゃ。なぜかって?まて、まて、これからその話をしてやるから。
そのころ、社家の三島神社(みしまじんじゃ)にはツキの木の神木(しんぼく)がたっておった。そりゃあ、もう、でかい木でなぁ。ふとさが十二メートルもあって、もう千年も生きているというはなしじゃった。
そして、その根元(ねもと)には、こどもが中であそべるぐらいの大きな穴(あな)があいておったが、中にすんでいたのは、なんと大きなへび、大蛇(だいじゃ)だったのじゃ。
大蛇(だいじゃ)は、ちかくをとおる生き物はなんでも、そのでっかい口でひとのみにしてしまうので、村人(むらびと)は、こわくて、こわくて、よっぽどのことがないかぎりちかづかなかったそうじゃ。
しかし、神社のそばには大きな池(いけ)があって、そこはむかしから村人の大切(たいせつ)な洗濯場(せんたくば)だった。いまのように、家に洗濯機(せんたくき)があってかんたんに洗濯(せんたく)ができるというわけにはいかないからのう。人びとは、こわごわその池(いけ)で洗濯(せんたく)をつづけておった。
そんなある日のことじゃ。ちかくの農家(のうか)のおかみさんが、この池に洗濯(せんたく)をしにいったまま、夕方(ゆうがた)になってもかえってこないという事件(じけん)がおきた。
おかみさんの家の人たちが心配して池にさがしにいくと、洗濯物をいれた桶(おけ)だけが、ぽつんと岸辺(きしべ)にのこされているだけで、おかみさんのすがたはどこにも見えなかったそうじゃ。
池におちてしまったのじゃなかろうかと、村じゅうの人たちがみんなで池のそこまでさがしてみたんじゃが、おかみさんは出てこんかった。
ま夜なかまでさがしつづけて、みんながぐったりとしていたとき、ある村人(むらびと)が、小さな声でつぶやいた。
「ひょっとしたら、大蛇(だいじゃ)に食(く)われてしまったんじゃなかろうか?」
村人の声(こえ)はちいさかったのに、ふしぎなことに、そこにいた人、全員(ぜんいん)の耳にとどいたという。なんせ、大蛇(だいじゃ)は、なんでものみこんだし、人を食おうとしたのを見た、という者(もの)もたくさんおったからのう。
村人は、みんな、おかみさんが大蛇(だいじゃ)に食われてしまったのだと信じてしもうた。
しかし、大蛇(だいじゃ)のすむ神木(しんぼく)にちかづいてたしかめようとする者(もの)は、だれもおらんかった。だれだって、じぶんのいのちは大切(たいせつ)じゃから、もんくはいえない。
ところがじゃ、その年の六月十五日、信(しん)じられないことがおこったのじゃ。その日はお日さまがぽかぽかとてる、風のないおだやかな天気(てんき)だったのに、おひるごろ、なんと、とつぜん神木(しんぼく)が火をふいたという。
中におった大蛇(だいじゃ)は、どったん、ばったん、火の中をころげまわった。その音は、まるで地震がきたみたいじゃったが、やがてとうとうやけしんでしまった。
それを見た村人たちは、これは天(てん)の神(かみ)さまが、おかみさんを食いころした大蛇(だいじゃ)に、ばつをあたえたのだと言いあった。いくら大蛇(だいじゃ)だとはいえ、やっぱり人をころしては、いか〜ん!
こういうのを、天罰覿面(てんばつてきめん)というのじゃ。
このとき、焼けあとから出てきた大蛇(だいじゃ)の骨(ほね)は、十八リットルもはいる四斗樽(よんとだる)に四はいもあったそうじゃ。
その骨がどうなったか、いまではだれも知る人はないそうじゃ。ざんねんなことじゃ。
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明治時代の三島神社(みしまじんじゃ) |