江戸時代のおわりのころのお話です。
中新田の海源寺(かいげんじ)のけいだいにいつのころからかタヌキが住みつき、毎年、春先のじめじめした風がふく夜になるとばけて出て、人々をおどろかせていました。
おしょうさんが、お寺に集まった人を前に、「今年もまた、タヌキが出はじめました。どなたか見にきませんか」とさそうのですが、みんなこわがってだれも手をあげません。 ところが、佐吉(さきち)というとてもこうき心の強い男が、「わしが見せてもらいましょう」と、その日の夜さっそくお寺に出むきました。おしょうさんと本堂(ほんどう)のとびらを少し開け、タヌキが出てくるのを、じっと待っていると・・・、本堂のうらの墓地(ぼち)から「ギイ、ギイー。ガサ、ガサ!」と、気味の悪い音が聞こえてきました。
やがて「カラン!、カラン!」と金棒(かなぼう)を引きずるような音をたてて本堂のわきから白衣をまとったお坊様(おぼうさま)があらわれました。 お坊様は、肥料(ひりょう)などをしまっておく小屋の所までくると、はたと立ち止まり、とつぜん「アハハハハ・・・」と高笑い(たかわらい)して、パッとすがたを消してしまいました。
このお坊様こそタヌキが化けた姿で、「カラン、カラン」という物音は、火ばしを引きずる音だったそうです。
このころ寺では風呂(ふろ)は外にありました。寝る前におくさんが火の用心に見回ると、寒い夜にはきまって釜(かま)の中へ四、五匹の子ダヌキが入ってぬくもっています。「さあ、さあ、これを食べてゆっくり寝ていきな」と夕ごはんの残り物にみそ汁をかけてあたえることもたびたびでした。
おしょうさんが故郷(こきょう)の尾張(おわり)へ旅に出たときのことです。
風もないのに「ガサ!ガサ!」と笹(ささ)の音がするではありませんか。気にもとめずに関所(せきしょ)を越えてしばらくいくと、山の中から見なれたタヌキが二匹道のまん中にあらわれました。 「何だお前たちであったのか。こんな遠くまで送ってくれたのか。ご苦労様(ごくろうさま)よ。すまなかったなあ。関東はここまでで、これから先は関西だ。わしはこれから関西へ行ってくる。道をまちがえぬように家へ帰んな」といたわるように言ってかえしました。
海源寺のタヌキが、わざわざ箱根(はこね)まで見送ってくれたのでした。
(こどもえびなむかしばなし第1集より)
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田んぼの中の海源寺(かいげんじ)
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