鎌倉(かまくら)時代の初め、海老名でいちばん高い上今泉の秋葉山(あきばやま)の中に白雲(はくうん)という老人が、ひっそりと暮らしていました。
白雲は中国の人で春と秋、大山がくっきりと澄んで見えるようなはれた日に胡服(こふく:中国の北方民族の着ていた服)に着がえて、一心にお経(おきょう)をとなえるのでした。
また、秋の十五夜(じゅうごや)には、わざわざ天の神様をおまつりする祭壇(さいだん)を作っておいのりしました。その時は同じ中国人の人たちが何十人もどこからともなく風のように集まって来て、くるったようにお経を読むのでした。そして最後には、遠いふるさとの国を思って、みんなで声を立てて泣きさけぶのでした。その声は森にこだまして、かなしく、おそろしくひびいたそうです。
正治(しょうち)二年(1200年)のこと、前から白雲たちのこの行動をよく思っていなかったこの地の地頭(じとう)は、自分の家族や村人たちといっしょになって白雲をおそって彼を殺してしまいました。そればかりでなく、白雲がまもっていた古い国王のはかをあばいて、うめられていたたから物を自分の物にしてしまったのです。
しかし、このことはすぐに幕府(ばくふ)の知るところとなりました。国王のはかをあばき、白雲を殺したつみで、地頭とその家族はつかまえられて死刑(しけい)になりました。また、いっしょに白雲をおそった村人たちも、ことごとくほろぼされてしまいました。
この後、村人たちは白雲の怨霊(おんりょう)をおそれて秋葉山中に入る者は一人もなかったといいます。
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秋葉山にある古墳(こふん) |